月が奇麗な夜のこと
月が奇麗です。
ところが、iPhoneで撮影したので載せようと思ったところ、目で見た月のイメージと違うものになってしまいました。(写真はネットからお借りしたものです)。
つくづく、自分が見た通りを人に伝えるのは難しい。
写真だけではなく、言葉にしてもそうです。
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あなたは、ふだん言葉を使うとき、自分の気持ちや思い描いた映像を伝えきれていますか?
僕は、見た人やモノを文にしたら違う印象になっているということが、何回もありました。
ああ、この人はもっと素敵なのに、自分の文では伝わらない。
ああ、この出来事はもっと衝撃的なはずなのに…。
そんなことがあるたび、死にたくなります。
人は完全に分かり合うことはできません。言葉で何もかも通じはしません。
時として、言葉より、目と目で通じ合う方が強いこともあります。
だけど、僕は言葉で伝えることにこだわってきました。
【それが好きだからです】
鉛筆を握り、原稿用紙に自分の気持ちを叩きつけると、心が解放されたものです。
「話し言葉ではなく、書き残すことで、後世にも俺が見たものが伝わるんじゃないか!?」などと、歴史家を気取ったりもします。
書き残すことへのワクワクが高じて、バリの砂浜に思い付きを書き殴ったこともあります。木の枝を両手に持ち、鉛筆代わりにしました。
書いたことは波にかき消され、歴史に数秒しか残りませんでしたが…。
ですが、地元住民がそれを見ており、「あいつは何を書いているんだ」とガヤガヤ。何かのインパクトが残せたようです。
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…話を戻します。
【言葉で想いを100%伝え切ることは不可能。だけど、限りなく100%に近付けることはできる】
──という考えから、僕は書く技術を研さんしてきました。
想いをありのままブチまけるためマインドマップを学びました。
誤解の余地のない文にするために言葉を選び続けました。
違う分野で生きてきた人が、どんな言葉を使うのかに注目しました。
その結果、曲がりなりにも人の生き様を文章にできるようになってきたようです。
さてこのブログでは、面白い生き方をしている人の生き様を記事にしていこうと思います。それと同時に、こうして培った作文技術をシェアしていきますのでぜひ参考にしてくださいね!