自由を目指しても何もない。
先を越された!僕がずっとやりたかったことをすでにやってる人を見たので記しておく。
そう年が変わらない日本人女性が4か月にわたってキルギスの「誘拐結婚」を取材し、その写真で国際的な報道の祭典でグランプリを獲得した。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20140612/402409/?ST=m_interview
国際取材で世界の歪みに切り込んじゃうなんて、最高にクールだ
と、僕の感性はこう言っているわけです。
もともと僕は、自由になりたくてビジネスを始めたと言うより、
「世界に出て、まだ誰も知らないことを見つけ出してそれを伝えたい。新聞社とか通信社とか会社勤めでそれができるなら会社でもいいや!でも、会社ではできないっぽいからビジネスやる!」っていう論理で始めてます。
つまり、
「自由になりたい!→ビジネス」
ではなく
「世界で取材したい!→会社は卒業した方がいい→ビジネス」
という流れ。
だから、もし「権利収入、不労所得を取って自由になれるよ」とかいう話が来ても、今の僕のハートには全く響かない。
まあでも、冷静に言葉の意味を考えると、「自由になりたいんです」は意味が無の言葉だと分かる。
「意味がない」と言うより、「無という意味」ね。
だってさ、freeって「シュガーフリー」とか「ストレスフリー」とかいう言葉で考えたら「ゼロ」って意味だぜ?
だから稼いでいる人は、「経済自由人」と言うより「経済リッチ」なんです。
どちらかと言うと、世を捨てて自給自足をやっている人こそ「経済自由人」。
文字通り経済から離れ、無縁になっている。
だから「自由」「ゼロ」を突き詰めるってことは、
会社から自由になるだけでは飽き足らず、
その他取引先からも自由になり、
お金からも自由になり、
国家からも自由になり、
自分の心からも自由になり、
重力からも自由になる必要がある。
重力から自由になったら宇宙の果てまで漂うことになるんでしょうね。
※でも、「パルクール」ってスポーツは重力からの解放を目指している感じで好きだ。
それら自由を目指すことには意味があると思うけど、
ガチで達成した状況って神の領域なんじゃないか?
ゼロになるのが目的なら、仏教とか解脱する系の宗教の方がたぶん近い。
だけど、「自由になりたい」って言ってる人が目指してるところは違うよね?
俺も違うよ。
俺は「ゼロ」とは全く逆の方向に行きたい。
万事トラブルと喜びに溢れた、冗談みたいな人生にしたい。
たぶん、「自由人」って言葉を使っている人の99%は「会社から自由になった人」という意味で使ってる。
もっと言うと、「会社を卒業した人」ね。
そうなると、
【卒業してその先どうなったか?】
が最重要問題。
そこ放置して自由に賛成?反対?
って論争してても無駄無駄。
僕が雇われ卒業しても「自由人」だなんて絶対に言わないでくださいね!?
大学出て今メーカーで働いてる人を「あの人、゛大学出た人゛なの」っていうくらいヘンだから。
言うならその後何やってるかでしょ!
まあ長くなったけど、僕はゼロになろうとは全く思ってない。
自分が出くわす業界、目にした問題と格闘し、
愛と
怒りと
悲しみと
喜びと
狂気と
安心と
情熱と
冷静さと
憎しみと
欲と
笑いと
エクスタシーと
愛にまみれて
死にたい。